あるところに、ちょっと頭がよくて、でも愚かなウサギが住んでいた。

ある日、ウサギが野原を散歩していると、突然トラがウサギの目の前に現われた。

ウサギが驚いて腰を抜かすと、トラはグルルとうなってこう言った。

「お前を喰ってやる」

人生これから楽しいってのに、トラに喰われちゃしょうがない。ウサギはちっぽけなおつむをフル回転させた。

「待て待て、待てよトラさんよ」

「なんだ、俺は腹が減ってるんだ、さっさとお前を喰いたいんだ」

「ああ、そうかそうか。腹減りのつらさはオレにもわかる。だがね、あんた。ウサギを食う前に、ちゃんと色々準備せにゃあいかんって」

「準備だと?」

「ああ、そうさ、準備さ。まず手を洗う。指と爪の間もしっかりね。それと足、ついでに顔、頭、全身洗うんだ」

「ウサギを喰うためにそんなことをしなければいけないのか」

「それだけじゃないさ」

ウサギは鼻をひくひくさせて話を続ける。

「体をキチンとキレイにしたら、身なりを整えなきゃいけない。
 赤いマントを羽織り、足には水牛の皮でできたブーツだ。そして象の角で作った角笛を首にかける」

「バカをいえ。ゾウが持っているのは立派な牙だが、角なぞ生えているものか」

トラがフンッと鼻で笑うと、ウサギはさらにふふんと笑ってこう言うんだ。

「バカはそっちだ。ゾウの頭のてっぺんにゃあな、バカには見えない透明な角が生えてるのさ。オレにはもちろん見えてるぜ」

ぎょっとしたのはトラの方。「も、もちろん俺にだって見えてるさ。さっきのはただの冗談だ」と言った。

「ま、そういうことさね。そこまでキチンと整えて、はじめてあんたはこのウサギを喰うことが出来るというわけさ」

「なるほど、なるほど。かなりややこしいということはよくわかったぞ。だが、だがだぞウサギ」

「なんだね、トラさん」

「そんな作法は昔からあったものか。俺の父さんもじいさんもひいじいさんもそんなことは言ってなかったぞ」

ここで愚かなウサギ、ついつい口を滑らせちまった。

「いいや、これはオレが今思いついた、つまり全部でたらめさ」

コレにはトラはカンカン、ぎらぎらした目でウサギを睨んでこう怒鳴ったのさ。

「この阿呆なポンコツウサギめ。俺は昔からのしきたりをキチンと守ことにしているんだ」

トラは舌なめずりをして、一歩前に踏み出した。

「ウサギは頭からがぶりといく。俺の父さんからじいさんからひいじいさんから伝えられた大事なしきたりだ。やいウサギ、何か言い残すことはないか」

ウサギはすっかり腰を抜かしちまってね、逃げる気力さえなくなってた。そして、こう言ったんだ。

「オレも、うちの父さんから、じいさんから、ひいじいさんから、ひいひいじいさんから伝えられた
 『トラに出会ったらさっさと逃げる』をすぐにやればよかったよ」

そして、ウサギはトラにペロリと食べられてしまった。

トラはドスンと座り込むと、独り言のようにこう言ったんだ。

「新しいことをやるのはいいことさ。それがいい方向へ向かうのならな」

すると、お腹の中からこんな返事がしてきたよ。

「ああ、まったくだ」


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